4th room

'05/08/29開設。本名による文系ブログと使い分けて、こっちは時事・政治問題を中心に。
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姜尚中と小森陽一については、このブログですでに書いたことがある。彼らが気持ち悪いのはその声や外見のゆえという以上に、自身の無謬性への馬鹿げた信頼のゆえだが、今夜(正確には昨夜)、ある人間について、このひとも同じ人種なのであることに気づいた。寺島実郎[2月16日夜、テレビ朝日系「報道ステーション」にコメンテータとして出演]である。
ところで、彼らの無謬感覚がひとえにアメリカを悪とする視点――アメリカがシリアや北朝鮮をそう見ている以上の――によって支えられていることは、いうまでもない。アメリカが善であるとは、私とて、これっぽっちも思っていないが、ただし、たとえばブッシュがクリントンであったところで9.11以降の対応はアレしかなかった、と私は思うものである(武力行使など無しで済ませられるならそれに越したことはないが)。
いずれにしても、無謬をただ信じ、静かに隠遁者のように生きているだけならこんなことを書きもしないが、彼らのようにその反米主義を飯のタネにしているような輩については、その化けの皮を剥ぐようなスキャンダル暴露が必要であるように思われる。そう、そのときはまた、こうしたメディア型人間に限って、まるで静かなる隠遁者のように自身のプライヴァシーを突然、主張したりするのだろうが。
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2007.02.17.Sat 03:04 | メディア | trackback(0) | comment(0)
スペイン語で鳩を意味するパロマの名には、しかし誰が何といおうとパウロや、あるいはマタイさえに通じる、聖人的な響きがある。そのパロマの躓きの石〔スカンダロン〕。
パロマの前にはナショナルがそれに躓きかけて、逆にそれで点数を稼いだ。そういうことになっているが、「いま間違ったのは私です」と手を挙げる輩はそうして自己申告しないときにも5倍ほどミスっているという、アマチュア・オーケストラの教訓がある。
それはそうと、パロマのあとにリンナイが続いて、そうして昨日は大阪ガスが、ガス器具にまつわる死亡事故でマスコミに追及されている。
わが知人がアマチュア・オケから引き出したように、私もここから教訓を引き出そう。
否、一つは前の記事にも書いた、姦淫のたとえの正しさだ。
そしていま一つは、ガス器具は元々怖いということ。そうだ私は、一度だってガス器具を点火しながらこれが死の危険と隣り合わせであることを忘れたためしはない。冗談と思うだろう、しかしそれは、飛行機にたいする恐怖心と同様であり、現に私は日本国内の場合はその交通手段を使用したことがない。
海外に行くとき以外は飛行機を使わないようには、ガス器具を使わないわけにはいかない。という意味で、死はわが部屋にも忍び寄っている。
少し酔っているとはいえ、くだらない話を書いているな。
だが、事がパロマだけの問題でないことが明らかになりつつある、というだけで、リンナイと大阪ガスの件には意味がある。
ガスだけでなく食の問題にまつわっても第二、第三の不二家が出てきて、そうして皆が口にできるものが無くなるところまで、いっそ事態は深刻化すればいい。
安全性の追求など際限がなくて――奈良の崖崩れで死者が出たことにまつわって行政の対策の不足を言い募る者は危険箇所がすべて通行禁止となって交通が麻痺することに対しても文句をいうなよ――、少々安全性が低くなったところで、この同じ世界の飢える人びとにより多くの食が提供されるほうがベターだ、という奴が何で出てこない?
2007.02.12.Mon 03:01 | メディア | trackback(1) | comment(0)
聖書を読む者(信仰する者とは限らない)には周知の禁止の定言命令に姦淫のそれがあって、マタイ書(第5章第28節)では「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」とまで表現される。だが、同じマタイのなかに見出せないのが残念なのだが、ヨハネ書(第8章第7節)には「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と、イエスは言ったのである。「子どもを産む機会」の失言を捉えて、「心の中で思ってもいけないこと」と発言した青木幹夫・自民党参院議員会長は、ならば失言の主を護る決意を固めた安倍総理に抗って、失言の主に石を投げ続ければよいのではないか。同じ問題をめぐって、女性議員や労組の女性組員の前で「許さない」と息巻く小沢一郎・民主党代表に至っては、事務所費で不動産を購入してきた自身にやがてその石が投げ返されることを、今から覚悟しておくがよい。宮崎哲弥しかり。もともとテレビ映えしない顔貌にも視聴者が慣れるくらいの露出度で、新タイプ知識人の行き方を切り拓いているのは喜ばしいかぎりだが、TBS系の昼間の情報番組で不二家のアルバイト社員だかの告発インタビューに何らの疑念も抱くこともなく頷き、その袋叩きに加担しているのは、親族が経営する水道管会社(だっけ?)が談合に関わっていない保証もない、みのもんたと変わるところのないメディア芸人ぶりである。小泉タウンミーティングのヤラセを非難した新聞社が自身が企画する政府系フォーラムでサクラに呼んでいた、それを批判していた新聞社がまた数日後に同じような仕儀がバレて謝罪会見をおこなって…。だから繰り返しておく、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。
2007.02.04.Sun 19:36 | メディア | trackback(0) | comment(0)
女性を「子どもを生む機械」に喩えてしまった柳沢厚労相の発言については、その「立場」を思えば――そして今に始まったことではない言葉狩りの風潮を思えば――不用意としかいいようがないが、大嫌いな辻元清美(ら)が鬼の首をとったように糾弾する姿を見るにつけ、なぜお前(たち)はもっと早くから同様の主張をしてこなかったのか、と罵りたくなる。というのも、そもそも近年の少子化対策の議論は、まさに厚労省管轄の諸施策をどうのこうのすれば「数」が増えるといった機械的な次元に終始し、「生まない」=子孫を残さないことも含めた、女性あるいは人間としての主体的選択・権利のことなど蔑ろにしてきたのだからである。
その意味では、「科学技術のパーソナル化が顕著になってきた」ことによって少子化は避けられないものとなっている現状を分析する池田清彦の言葉(1995年刊行の『科学はどこまでいくのか』の2006年増補時のあとがき)をここに引用しておくことは、無意味ではない。
「ケータイをはじめ様々なパーソナルな技術を身につければ、少なくとも主観的には世界は広がる。子供を五人も六人も産んで、十年以上の長きにわたって乳幼児の世話にかまけているヒマはない、と多くの人が思ったとしても不思議はない。さらには、自分や子供がパーソナルな技術を身につけるには大金がかかる。少子化が進むのは当然であろう。少子化が進めば個人一人に注ぎ込む資金は増加し、これはパーソナルな技術をうながすと同時にさらに少子化が進むことになる。パーソナルな技術を廃絶することなしに、姑息な政治的手段によって少子化を止めることはできない。いまさら、マイカーもパソコンもやめるわけにはいかない。」
池田の言葉はこのあと、「ならば少子化を前提とした社会を構想する他はない」と結ばれるが、その結びへの同意/否認はさておき――私は完全に同意する――、科学はここで「主観」(の拡張)の次元にさえ引き寄せられ、論じられている。「機械」だって、やがて誰かが「主観」どころか「無意識」の次元にさえ顧慮しながら(たぶんドゥルーズあたりを引いた)別解釈を提示するだろうが、そんな高尚なものでなくても、要は語り方と報道の仕方次第というところもあるだろうに、と救われない気分に囚われるのである。
2007.02.01.Thu 11:54 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)



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