4th room

'05/08/29開設。本名による文系ブログと使い分けて、こっちは時事・政治問題を中心に。
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多忙で書けない日々のさなかにあっては、タイトルに記すように自分に言い聞かせ、つまり慰めていたが、いまは、年が明けてから3日続けて書いた内容を振り返って、なかば自省的(自虐的?)にそう思っている。
まずは文体。いまから20年近く前、文章を書いてちょっとした原稿料をもらえるようになったころ、当時すでに売れっ子だったT氏が吐いた「君は何とも捩れた文章を書くね」の評は、その後の文体改良の努力(?)に一つの原動力となってきたが、限られた時間でザッと書くと、そもそもそういう思考回路なのだから正直なのでもある「捩れ」がそのまま剥き出しになる。あるいは、人間なんぞしょせんは成長しないのだ、という絶望感に襲われそうにもなる。
ついで内容。とりあげられるのが私事のように見えて、そのじつ現在的な問題に抵触し、そうして「こっちは時事・政治問題を中心に」の巻頭言をかろうじて正当化できていればいいのだけれど、ヘタをすると単にヨタ噺を書き綴っているにすぎないものとなりかねない。
いや、ヨタ噺もそれだけで食えれば作文の自己運動として、それはそれで善しとしたいが、それならばしかし、「時事・政治問題」の看板は下ろさねばならないようにも思う。
一寸、立ち止まって考えてみたい。
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2006.01.04.Wed 05:23 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
昨日の「女房より重い…」も、副題に読まれる新作PHSの弱点へと要らぬ連想を引き起こしかねないタイトルだったが、今日のもまた、さまざまな仕様や機能が成熟しきっていないとの評判でもちきりの(?)同機に飛びついてしまった者の、あたかも反省の弁のようではないか。
いやいや私は、PHSを瀕死の状態から蘇生させたウィルコムとの心中も辞さない覚悟なので(本気?)、かかる反省も皮肉もないと明言したうえで、ここは、本来は「文系」の本名ブログで取り上げるべき主題なのかもしれぬクラシック関係DVDソフトにまつわって――。

バーンスタインのマーラー交響曲DVD
こいつはドイツ・グラモフォンからリリースされたことがあるものの、数年前にいくつかのナンバーが品切れとなって、さらには著作権者ユニテルとの契約の関係で二度と再発売されないといった噂さえ立ってオークションでは破格の値段がついたこともある代物の、その再発売盤である。
もちろん私は「二度と再発売されない」事態などありえない、と踏んでいたさ。
いつか分売もアリの全集で再発売されるものだと予想して、すでに持っている第2、第6、第7の3曲分3枚以外の入手も急がなかったのだが、このたびの再発売に臨んでは、CDサイズのプラケースが最近の映画ソフトの例にならってトールパッケージになったとか、2曲で1枚に統合されたものがある(第1番と第2番、第4番と第5番、第9番と第10番)とか、の軽微な仕様変更以外の部分での、歌つきの5曲(第2、第3、第4、第8、そして「大地」*)に字幕が付いた劇的な改訂に、旧盤を買い揃えたがゆえに新盤には目もくれないかもしれない者たちの注意を喚起しておきたいと思う。(* 交響曲というより管弦楽の伴奏付き連作歌曲と呼びたい「大地」の旧盤に字幕がなかったかどうかは私は確認していない。)
じっさい、根が陽気な第4番のような場合はまだしも、クロプシュトックの詩を換骨奪胎した第2番《復活》のような曲を日本人が、ただ絶対音楽のように聴くなんていうことが、ありえただろうか。
いや、事はベートーベンのあの第九――字幕を追いながら最後まで聴くとその楽天性が笑えるほどだ――の、サイトウ・キネン・オーケストラを振った小澤のであれ、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団を振った佐渡裕のであれ、のDVDに字幕が付いていないくらいだから、この国のクラシック・ソフト製作者たちにはマンション強度偽装に類比させたい横着さが蔓延し、消費者もなかばそれに慣れていたきらいがあるのだが、それならそのまま字幕なしで売り続ければいいものを、あるとき突然、「日本語字幕ON/OFF付き」の特記まで付して新盤をリリースするものだから、だったら以前の不良品は今回の良品と取り替えてくれ、といいたい気分に襲われるのである。
――と、後期資本主義社会がそんなふうにしてわずかの差別化によって買替え需要を喚起してきたのである初歩的事実を知らぬかのように書いておいて、もう一つの私の特徴的言動について明かしておくなら、すでに第6番と第7番(ともに歌なし)はもっているから両曲を収録した第3巻(2枚モノ)は買わなくてもいいや、といった合理的判断を下すのでもなく、きっちり罠にはまったようにして新しいヴァージョンを買い直して、しかも同時に、いわゆるリッピング技術も駆使してバックアップ・ディスクを作成し、それのみを再生する措置を講じる(つまり原盤は保存用とする)ありさまである。もっといえば、これはたんなるリッピングではなく、上述の2曲ずつコンパイルされたディスクについてはバックアップに際して1曲ごとに分割して、つまりは11枚モノ全集へと装いを新たにするのである。
売り方にたいする復讐と書かないだけマシだと思ってもらいたい。
認めうるとすれば、W-ZERO3のケースにも通じる「待った者が勝ち」的な知恵への抵抗、換言すれば「人柱になる意思」なのだが、そんなことより、ポケットから30000円を超える代金を払って全4巻8枚の新品を買い直したうえでの、あくまで個人使用(ホームユース)に係るカジュアル・リップくらいは、法もこれを黙認してしかるべきと考えるものなのである。
2006.01.03.Tue 00:05 | 私事 | trackback(0) | comment(0)
副題に掲げた件は直前の記事でもう済んでいるが、3回連載の通しの題としては残しておくものである。
そう、W-ZERO3もついその多機能に惹かれて重さも気にせず買ってしまったのだけれど、軽量薄型が幅を利かせるこのご時世に配達業者の腰を痛めさせかねないヘビー級ブラウン管テレビを買うことになった、わが涙ぐましき決心は、誰より自分自身の電化製品購入史のための備忘として書き残しておく意味がある。

テレビ
知ってるひとは知ってるとおり、なんぼ液晶やプラズマの画質や反応速度が向上したとはいえ、この21世紀冒頭の段階では、テレビの画面の見た目のキレイさではブラウン管がまだわずかに勝っている。
だが、周囲のテレビがどんどん大型化していくのを見るにつけ、そろそろわが家もと思い立ったときに、画面の拡大に応じてその3乗に重さを増すことになるブラウン管式のを購入するつもりは、さらさらなかった。
心変わりの理由は、わが居間の構造に存する。つまり、作りつけの家具の「中」にテレビを置くように出来ていて、高さ(57cm)×幅(100cm)×奥行(60cm)の制限があるのである。
この制限内に収まる最大画面のテレビは32型とは、早くからカタログを見て踏んでいた。
問題はしかし、液晶にせよプラズマにせよの薄型には、どのメーカーのもとても見栄えがするとは思えない台座があって、それを含めると上記の高さの制限を超えてしまう(制限内に収めるとなると一つ下の28型でもたいがいのは厳しくなるし設置の光景がそもそも不恰好である)ということなのだった。
電器店の店員に訊いて絶望的になった。なかには台座の代わりの補助器具でなんとか立つタイプがあるのではないかという、私が当初抱いていた希望は甘くて、台座無しで自立できないのはまさに薄型のゆえんだ、という言い分だった。
この際、台座なしでデンと鎮座ましますブラウン管のほうが、画質も優れていることだし、いいのではないか――そう思うまで、時間を要しなかった。
32型で、地上波デジタルにも対応し、しかも黒色の微妙な再現性で優れ、それでいて値段的にも手頃な――それでもイオンなどで扱っている台湾製の安い液晶よりはるかに高価だ――、そんな機種が東芝から出ていた(32DX100)。おまけにこれだと現在使用中の、同社製のハードディスク・レコーダー(RD-X3)との連動も可能である。決めた。
ただし、そうすると女房より重い、約57kgにもなる重さの問題が当然、課されることになる。
実際、冒頭にも記した配達のみならず、背面での結線作業やそれを終えてからの、ギリギリの高さのスペースへの設置作業の、どれもがたいへん(そう)だった。この作業が今後の修理や買替え時にも発生すると想像すると、めまいがしそうだ。
想像さえしなければ、しかし見た目は液晶ないしプラズマ、いやそれ以上だ。京都はまだ比叡山からの地上波デジタル出力がNHK京都と京都テレビのに限られているが、これが目からウロコの美しさだし、いままで有料と勘違いしていた(実際に有料のWOWOWなどもあるが)民放系のBSデジタルも見られるようになって格段にチャンネル数が増えた。
画面だけ、成熟の極みにあってもうその運命を終えようとしているブラウン管とした守旧派として、しかし確かにデジタル化の波にもしっかり乗り始めていることが意識される、わが電化製品購入史の1頁である。

[あと1つ、「バーンスタインのマーラー交響曲DVD」へと、まだこの買替え噺は続く…。]
2006.01.02.Mon 06:59 | 私事 | trackback(1) | comment(0)
表題としては2つの商品の通称を並べているが、コイツは、暮れの数日間でさまざまなアイテムにまつわって採った買替え行動を、代表(represent)している。
そう、じつにたくさんお金を使った。
それはほとんどストレス発散のためであった――そのつもり(確信犯)だったのだが、いざ新しいモノが手に入ってしまうと、新たなストレスがかならず付いてまわる。
ということで、年始にふさわしい話題とも思えないが、年の変わり目にそもそもたいした意味を見い出してもいないので――意味があるとしたらこうした買い物のための時間を生み出してくれるという点だけだ――、書くヒマがあるうちに書いておくとしよう。

PHS
告白してしまうのだが、私はPHSユーザだ。
電波の届く範囲がdocomoやauのよりいくぶん狭かったり(ときどき出張先で経験する)、高速移動新幹線車中からはすぐ切断されたり、といったマイナス点はあったとしても、一年余り前、100g程度のモバイル機で、しかも5000円程度の定額を払えばふつうのHPが見放題、という仕組がDDIポケット(当時)によって提示されたときには、すぐ飛びついたものだ。
そのとき売り出された、Operaというブラウザ搭載のPHSが京セラが出した、通称「京ぽん」だった。
他方、DDIポケットがその後、京セラが主要出資者となったウィルコムへと発展吸収され、そのなかで、電話/メール送受信/ネット利用(PHSだけでなく無線ワイヤレスによっても)が可能なPDA、のコンセプトで満を持した発売された第二世代が、シャープ製「W-ZERO3」(正式型番WS003SH)だ。
そうしてそのコンセプトは見事にユーザの心を捉え、12月中旬の発売日以降、ウィルコムのオンラインショッピングのサイトでも抽選販売が続き、店頭販売でも大手ショップでも数日~数週間待ち、といった人気沸騰ぶりである。
いつも利用する上新電機京都1ばん館が、契約書にきちんと書き込んで待つのでも1月末の引渡しというその「W-ZERO3」を、しかし私は12月21日にソフマップの近鉄プラッツ店で予約して、暮れも押し迫った29日に入手することができた。
便利だ――ウィルコム/シャープが喧伝する、そのようなものであるならば。
ところが、同じ場所でも「京ぽん」1号機よりも感度が落ちる。
そのくせ、知らぬ間に勝手にネットにつながることがしょっちゅうあって――そんなことはマニュアルを見ても書いていない――、いつの間にかバッテリーが激減している。
未操作時間が一定値を超えると自動電源オフになるのはいいが、復帰時にパスワード入力を必要とする設定だと、メール着信の有無がアイコンで認知できない。
…といった、買替えによって逆に不便になったことがいくつもあって、頭が痛い。
実は重さも200gを超えて、いや、こんなものは上記のようなマイナス点がなければ何ということもない――むしろこの機能を得るにはこれくらいの重量が必要なのだと納得できる――程度なのだが、そこはそれ、倍が3倍、4倍にも感じられるというのが実際の使用感だ。
冗談抜きで、電話とメール送受信のためだけのセカンド機が必要になるかな。

[1トピックスだけでずいぶん長文になったので以下、同時期に買替えた2品目を見出しとして記すに留め、詳細はまたあらためて。]
テレビ
バーンスタインのマーラー交響曲DVD
2006.01.01.Sun 03:37 | 私事 | trackback(0) | comment(0)



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