4th room

'05/08/29開設。本名による文系ブログと使い分けて、こっちは時事・政治問題を中心に。
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飲んで、また店を変えて飲んで、そうしてとっくに日付が変わってから帰宅してその勢いで書いたとはいえ――そしてそれが副題で断られているとはいえ――、未明の記事「残酷なクリスマス」の脈絡は相当、横揺れがひどい。揺れつつ、しかし文章としては何とか線路上に載ってはいる、と書けば不謹慎もここにきわまるといった主題だが、ここは反省の意味も込めて、削除せず晒し続ける措置をとることにしよう。
それにしても、列車転覆事故のニュース価値がもう少し大きいものであるべきだとの旨は記しはしたものの、4人目の死亡者収容で終了したと思われていた被害者捜索が、幼児を含めた3名が事故車両のなかに閉じ込められたままの可能性があるとしてまた再開されたのは、あまりに悲しすぎる展開といわねばならない。
3人のうちの一人、うら若き女性は家族からの連絡で、残る母子は車中でそれを目撃したという乗客の証言で、不明者リストに載ることになったわけだが、そうしてまだ捜索せねばならない「空間」が事故現場に残っているということは、さらに、家族や友人から連絡されるわけでも、その特徴的な存在性によって他の乗客の記憶に残っていたのでもない第四、第五の不明者がある可能性をも、内包することになる。
と思うと、何とも恨めしいのはこの12月の過酷な天候のことである。じっさい、基準以下の風速というので列車を走行させた運転士を難じることも、日本中に数多残っている防風設備が万全に備わっているのではない橋梁を即刻改良せよということも、幅広いコスト観点からは無理だと直観する諸ニュース番組のコメンテータたちは、できずにいるのだが、彼(女)らだけのものではないその歯がゆさを、重機を自在に使用することを許さない激しい風雪が増幅する。
いや、私の柔な精神は、富山に帰省していた妻子の乗ったサンダーバード24号がせいぜい75分ほどの遅れでさっき京都駅に着いたことを喜んでいる、といった体たらくなのだけれど。
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2005.12.27.Tue 17:20 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
このクリスマスは久しぶりに家族と離れて過ごした。病気(といってもほとんど老衰だが)の容態が重篤な祖母を見舞うために細君が子を連れて雪国の故郷に帰ったからだ。
その、母子が京都を発った同じ日(25日)に山形では秋田発の、どのみちそんなに型は違わないであろう特急列車が突風にあおられて脱線・転覆し、4人の死者を出した。
もちろん重大な事故だ。だが、この数年に一度の規模の事故が今年は、4月の福知山線事故の甚大な被害と較べたときの相対的な小ささによって、人びとの心に落とす影まで小さくなっているかのようだ。
じっさい、統語失調症の母親によって湖に捨てられた7歳と5歳の兄妹の件が何やら小さくしか報じられないのにもまた、女子児童の命が立て続けに凶暴なる刃によって断たれた件による影響が、ないともいえない。
私はこう書き募り報道を、そしてそれを受け取る視聴/講読者を、非難しているのだろうか。
諾――ただしそれは、私もその、ちょっとした事件の連鎖で事の重大さにかんする感性を鈍磨させる者どものひとりである反省を含めてのことだ。
反省しつつ、しかし私は今夜も街で忘年会という、まさに忘れることを礼賛する宴に興じて、その帰りに廉価版DVDを数枚買い込んできては、ついさっきまでそのうちの1枚を100インチ・スクリーン(といってもただの白い壁だが)に映して、楽しんだりしたのだった。
書き始めたときにはこんな告白をするつもりもなかったのだが、自動筆記のように書き進んできてその話題に触れてしまったので書くと今夜は、以前から買い求めたかったのだがそのうち廉価版になるからと待っていた(というのもDVDとしての発売直後に買ってその後ほどなくして何分の一かの値段になったパッケージをみて悔しがったことが一度や二度ではないから)、「ブリジット・ジョーンズの日記」の正編・続編の2本を、ついこのあいだまでは1枚分にも足りなかった金額(2本で1960円)で、購入した。
そう、レニー・ゼルウィガー――最近は「レネー」の正しい表記に改まりつつある――が、好きなの。そして「シカゴ」をはじめとする、押しも押されぬスターとなってからのやブレイク以前のはたいがい見ているのにこの出世作は、つまらぬ貧乏根性で先送りにしてきたの。そして街で酒を飲んできて、その勢いで見たからという事情もあるけれど、このコメディ・タッチの作品(正編のほう)の途中3シーンほどで、私は今夜、恥ずかしげもなく涙したの。(と、オカマ口調はこの段落でおしまい。)
最近、とみに涙腺が弱くなった。「ニュー・シネマ・パラダイス」のメロディだけで銀座で涙したのはつい先日書いたとおりだが、そうしてそのたびに、こんな虚構によった生ぬるいものとは違う、慟哭とともに溢れる涙がいま流されている現実のことがふと脳裏をよぎって、それで我に返るのである。そして我に返ると、太っちょブリジットの胸も実は「シカゴ」でバレてしまっているように本当は、リンゼイ・ワグナー(何と古い!)にも匹敵する貧乳であることなども、思い起こされるのである。
のんき、というより、このかん当ブログでもちゃんととりあげてこなかった悲惨な事件に言及しておきながらこの取り上げ方だから、あの感性が鈍磨した視聴/講読者以上に残酷だ。そして今夜はまたその残酷さにメタ的に言及している。
否、クリスマスなんぞもまた、救世主とされるのは人びとの身代わりとなって十字架の上に死すことの謂れであるひとの誕生すなわち死への出立〔しゅったつ〕を祝う日なのであるから、救いようがなく残酷で、そしてそれゆえにこそ実に人間的だ。
2005.12.27.Tue 04:08 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
さっき出張先の東京都内某所でラーメンをすすっていたら、夕刻のニュースで清原のオリックス入団記者会見のようすが報じられていて、「お前の最後の花道を俺がつくってやる」と故・仰木監督がいったという話が、告白されていた。
否、その数秒前には、巨人をクビになったこの男が、最後に故郷の大阪でもうひと花咲かせる旨、宣言していて、それですでに涙腺が緩みかけていた私はこれで完全に涙の堤防を決壊させることになって、その数滴はラーメン鉢に落ちて塩気を増しさえしたのだった。
そうなんだよ、いまは京都に住まいを構える身だけど、おいらも生まれは大阪だから(と、あえて大阪弁で書いて茶化すことも断固として避けるのだが)、京都の人間の中華思想は、好かんのだ。
ついでに書いちゃうとネ、米原付近の雪で新幹線が遅れたらたいへんだからとその京都を予定より小一時間も早く発って、遅れなかったから小一時間早く着いた東京で、暇つぶしに昔わが庭だった銀座を歩いていたら山野楽器裏のシネスイッチ(だっけ?)で「ニュー・シネマ・パラダイス」のデジタル・リマスター版がプログラムとしてかかり、しかもチケット売り場脇のモニタで予告編とあの哀切感漂う音楽が流れていたものだから、どんなときでもその旋律を聴けばひとたまりもない私は、そのときすでに涙腺の締りをちょっぴり緩めていたのだった。
*
おい、清原よ。おいら、22歳のときにな、高1のお前が試合としては初めてその土を踏んだ甲子園デビューを、1塁側外野席から目撃していたんだ。
あのとき、まさかその倍の齢になるなんて、思ってもみなかったけど、時間はやはりすべての人がそこに向かって邁進する死の矢印のほうに進んでいて、あの君がすでに現役の野球人としてはその晩年を生きようとしている。(ちなみに22年前、仰木さんもまた40歳台だった。)
*
ヘタすると、おいら大阪ドームに応援に行っちゃうぞ。もう走らなくていいから、思いっきり振って、当たるか外れるか、そんな有終の美を見せてくれ。
もうひとり、あの同じグラウンドに立っていた桑田もまた、彼は彼で初心を貫いた巨人の投手として、おそらく最後の1年を過ごすとき、このオリックスと巨人が東京/大阪の両ドームで日本シリーズを戦う、なんてことは天地がひっくり返っても無理だろうけど…。
2005.12.20.Tue 20:12 | スポーツ | trackback(0) | comment(0)
一日だけの高知出張を終えて帰洛した。
あいかわらず飛行機は苦手で、しかもこのたびはクルマを駆る余裕もない旅であることは、先日グチったとおりだ。が、四国のど真ん中の、殻つきピーナッツの胴の細い部分にあたる地域を、たった3両の特急「南風」で走る興趣もまた格別――。
まず、瀬戸大橋から見る景色が、クルマを運転しているときにはけっして経験できない、真下に海を見るようなアングルによっても得られて、しかも島々の木々がいままさに紅葉の盛りを迎えようとしていた。
紅葉の美しさは香川から高知に入るあたりの、大歩危〔おおぼけ〕の渓谷でも同様で、ところが私はその色彩よりも、片側に白い切り立った岩肌を見せる吉野川の反対側に、のしかかるように高い峰が連なる、単純にその高低の落差――少なくともこれまでの私の視覚経験にはない――によって、アルプスの高峰をたずねた18世紀人にとってのそれがこのようなものではなかったと思われる「崇高」の境地に誘われた。
大げさと聞こえるだろうか。私はしかし、先頭車両で運転席の窓越しにその絶景が後退していく動勢をも味わい、ましてやパッと見は都市圏の快速電車のような「南風」の振り子式の作りがカーブでも比較的速度を落とさずカラダを揺すりながら進むので、ほとんど船酔いに近い状態となって、その意味でもずいぶん非日常的な体験を味わったのだった。
こりゃ、帰路でも同じ経験をするのはきついかな。そう思ったって、もうチケットは買ってしまっていたので、翌日(=今日)はきちんと腹ごしらえもして車両に乗り込むと――というのも空腹時こそ酔うものだからね――、すると同じ峡谷で、こんどは白い雪が舞う光景を目撃した。四国でこれだから、週末の天気予報が伝えていた寒波は本格的なものなのだろう。
   *
話題は一日遡って、仕事の件。おそらく1時間半、聴衆は私の話で飽きることはなかっただろう。
パワーポイントのスライドも、とても直前の「南風」車中でようやく完成したとは思えない程度にはよく仕上がって、こうやって乗り切ってはいけるものだ、と私はまたこの点での自信をあらたにした。
この調子で明日の東京での仕事――こちらは某省庁のお役人相手のたった15分のプレゼンテーションだ――も、たぶん乗り切れるだろう。
そう、乗り切れるだろう――ひとは痛い失敗をする、そのときまでは。
2005.12.04.Sun 19:28 | 私事 | trackback(0) | comment(0)
ヤギ・カルロスなる日系ペルー人が広島女児殺害事件について自供を始めた。
が、何と「悪魔が入ってきた」のだそうだ。そして今は「出ていった」とも。
ふざけるんじゃない。
悪魔をそのように外部から到来する者すなわち他者として捉える姿勢は、単純に前近代であるにすぎない。
そう、せめて内なる悪魔が、というくらいに言ってくれないと話にもならない。そして私はそれに負けたのだ、と。
   *
ついでにいえば、あの姉歯。
ヒューザーやイーホームズの社長も褒められたものではもちろんないが、仕事が減るからといってとんでもないレベルの偽装を実行した張本人が、桁違いに悪いのは当然である。
加えて、体調が悪いから、とかの理由で聴聞を拒否しているらしいことが、少々の症状なら喘息をおしてでも仕事をこなしている身からすると、許しがたい。
世が世なら市中引き回し。問題のマンションの住民にしてみればそれでも済まないところだぜ。
それともお前も、内であれ外であれの「悪魔が…」とか、言い訳しちゃうのかな。
2005.12.01.Thu 23:43 | 思弁 | trackback(1) | comment(0)



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