4th room

'05/08/29開設。本名による文系ブログと使い分けて、こっちは時事・政治問題を中心に。
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けっきょくこの場所ではパロマのときと同じ言い草を繰り返すだけなのだが、遊園地は絶対に安全で「あってほしい」でなく「なければならない」なんて、本当にありうる主張だと、ひとは思っているのだろうか。私は飛行機にいやいや乗るときは、乗った以上、堕ちても文句はいえないな、と考える口である。だから当然、ジェットコースターに乗るときも。じっさい私は数年前、当時4歳の息子と後楽園ゆうえんちの「舞姫」という小型コースターに乗って、大型のそれに勝るとも劣らぬ恐怖心(横の鉄柱に頭部をぶつけるのではないかという)を感じたものだ。
が、今日ここで触れたいのは、そんなことではない。吹田市が、エキスポランド(以下、園と略記)がもしもそのコースター再開の申請を出してきても許可しない、と表明したと新聞が。そんな申請を出す話がもう園側から出てきてるのか、と思ったらそうではなくて、むしろ園側もそれは廃止するらしい(ということは吹田市の単なるパフォーマンスということになる)。園がびくびくしながら社会的な反応を待つのは、むしろ、6月だかには再開したいという園全体の営業の問題だろう。
そうだ、現実問題としては、補償をするにも経済的な基盤がいるということで、福知山線が数ヵ月後に走り出したように、園の営業再開もどこかで認めざるを得ない。だが、その現実を認める私も、あの転覆場所を通過する福知山線に毎日乗る(そして毎日ココなんだなと思う)人間に、私はなれない、と思うように、そう簡単にジェットコースターには乗りたくないし、遊園地にもそうは足を運びたくない、と思う。だが連休の、事故後の残りの時間も、世間では他のジェットコースターの大半は稼動し続けたらしいのである。つまり、事故を起こしたのと同じような絶叫マシンに乗って数分を過ごし、怖かったね、私らも当たるかと思ったよね、とか笑いながらその数分のことを振り返るのである。事故が起こった瞬間にすべてが規制されたり、自粛されるのも嫌だが、そのような制度の問題としてではなく、喪(mourning)の問題として、事故後ここ数日中にジェットコースターに乗って絶叫した人間を、私は嫌悪する。
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2007.05.10.Thu 05:48 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
女性を「子どもを生む機械」に喩えてしまった柳沢厚労相の発言については、その「立場」を思えば――そして今に始まったことではない言葉狩りの風潮を思えば――不用意としかいいようがないが、大嫌いな辻元清美(ら)が鬼の首をとったように糾弾する姿を見るにつけ、なぜお前(たち)はもっと早くから同様の主張をしてこなかったのか、と罵りたくなる。というのも、そもそも近年の少子化対策の議論は、まさに厚労省管轄の諸施策をどうのこうのすれば「数」が増えるといった機械的な次元に終始し、「生まない」=子孫を残さないことも含めた、女性あるいは人間としての主体的選択・権利のことなど蔑ろにしてきたのだからである。
その意味では、「科学技術のパーソナル化が顕著になってきた」ことによって少子化は避けられないものとなっている現状を分析する池田清彦の言葉(1995年刊行の『科学はどこまでいくのか』の2006年増補時のあとがき)をここに引用しておくことは、無意味ではない。
「ケータイをはじめ様々なパーソナルな技術を身につければ、少なくとも主観的には世界は広がる。子供を五人も六人も産んで、十年以上の長きにわたって乳幼児の世話にかまけているヒマはない、と多くの人が思ったとしても不思議はない。さらには、自分や子供がパーソナルな技術を身につけるには大金がかかる。少子化が進むのは当然であろう。少子化が進めば個人一人に注ぎ込む資金は増加し、これはパーソナルな技術をうながすと同時にさらに少子化が進むことになる。パーソナルな技術を廃絶することなしに、姑息な政治的手段によって少子化を止めることはできない。いまさら、マイカーもパソコンもやめるわけにはいかない。」
池田の言葉はこのあと、「ならば少子化を前提とした社会を構想する他はない」と結ばれるが、その結びへの同意/否認はさておき――私は完全に同意する――、科学はここで「主観」(の拡張)の次元にさえ引き寄せられ、論じられている。「機械」だって、やがて誰かが「主観」どころか「無意識」の次元にさえ顧慮しながら(たぶんドゥルーズあたりを引いた)別解釈を提示するだろうが、そんな高尚なものでなくても、要は語り方と報道の仕方次第というところもあるだろうに、と救われない気分に囚われるのである。
2007.02.01.Thu 11:54 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
多忙で書けない日々のさなかにあっては、タイトルに記すように自分に言い聞かせ、つまり慰めていたが、いまは、年が明けてから3日続けて書いた内容を振り返って、なかば自省的(自虐的?)にそう思っている。
まずは文体。いまから20年近く前、文章を書いてちょっとした原稿料をもらえるようになったころ、当時すでに売れっ子だったT氏が吐いた「君は何とも捩れた文章を書くね」の評は、その後の文体改良の努力(?)に一つの原動力となってきたが、限られた時間でザッと書くと、そもそもそういう思考回路なのだから正直なのでもある「捩れ」がそのまま剥き出しになる。あるいは、人間なんぞしょせんは成長しないのだ、という絶望感に襲われそうにもなる。
ついで内容。とりあげられるのが私事のように見えて、そのじつ現在的な問題に抵触し、そうして「こっちは時事・政治問題を中心に」の巻頭言をかろうじて正当化できていればいいのだけれど、ヘタをすると単にヨタ噺を書き綴っているにすぎないものとなりかねない。
いや、ヨタ噺もそれだけで食えれば作文の自己運動として、それはそれで善しとしたいが、それならばしかし、「時事・政治問題」の看板は下ろさねばならないようにも思う。
一寸、立ち止まって考えてみたい。
2006.01.04.Wed 05:23 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
飲んで、また店を変えて飲んで、そうしてとっくに日付が変わってから帰宅してその勢いで書いたとはいえ――そしてそれが副題で断られているとはいえ――、未明の記事「残酷なクリスマス」の脈絡は相当、横揺れがひどい。揺れつつ、しかし文章としては何とか線路上に載ってはいる、と書けば不謹慎もここにきわまるといった主題だが、ここは反省の意味も込めて、削除せず晒し続ける措置をとることにしよう。
それにしても、列車転覆事故のニュース価値がもう少し大きいものであるべきだとの旨は記しはしたものの、4人目の死亡者収容で終了したと思われていた被害者捜索が、幼児を含めた3名が事故車両のなかに閉じ込められたままの可能性があるとしてまた再開されたのは、あまりに悲しすぎる展開といわねばならない。
3人のうちの一人、うら若き女性は家族からの連絡で、残る母子は車中でそれを目撃したという乗客の証言で、不明者リストに載ることになったわけだが、そうしてまだ捜索せねばならない「空間」が事故現場に残っているということは、さらに、家族や友人から連絡されるわけでも、その特徴的な存在性によって他の乗客の記憶に残っていたのでもない第四、第五の不明者がある可能性をも、内包することになる。
と思うと、何とも恨めしいのはこの12月の過酷な天候のことである。じっさい、基準以下の風速というので列車を走行させた運転士を難じることも、日本中に数多残っている防風設備が万全に備わっているのではない橋梁を即刻改良せよということも、幅広いコスト観点からは無理だと直観する諸ニュース番組のコメンテータたちは、できずにいるのだが、彼(女)らだけのものではないその歯がゆさを、重機を自在に使用することを許さない激しい風雪が増幅する。
いや、私の柔な精神は、富山に帰省していた妻子の乗ったサンダーバード24号がせいぜい75分ほどの遅れでさっき京都駅に着いたことを喜んでいる、といった体たらくなのだけれど。
2005.12.27.Tue 17:20 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
このクリスマスは久しぶりに家族と離れて過ごした。病気(といってもほとんど老衰だが)の容態が重篤な祖母を見舞うために細君が子を連れて雪国の故郷に帰ったからだ。
その、母子が京都を発った同じ日(25日)に山形では秋田発の、どのみちそんなに型は違わないであろう特急列車が突風にあおられて脱線・転覆し、4人の死者を出した。
もちろん重大な事故だ。だが、この数年に一度の規模の事故が今年は、4月の福知山線事故の甚大な被害と較べたときの相対的な小ささによって、人びとの心に落とす影まで小さくなっているかのようだ。
じっさい、統語失調症の母親によって湖に捨てられた7歳と5歳の兄妹の件が何やら小さくしか報じられないのにもまた、女子児童の命が立て続けに凶暴なる刃によって断たれた件による影響が、ないともいえない。
私はこう書き募り報道を、そしてそれを受け取る視聴/講読者を、非難しているのだろうか。
諾――ただしそれは、私もその、ちょっとした事件の連鎖で事の重大さにかんする感性を鈍磨させる者どものひとりである反省を含めてのことだ。
反省しつつ、しかし私は今夜も街で忘年会という、まさに忘れることを礼賛する宴に興じて、その帰りに廉価版DVDを数枚買い込んできては、ついさっきまでそのうちの1枚を100インチ・スクリーン(といってもただの白い壁だが)に映して、楽しんだりしたのだった。
書き始めたときにはこんな告白をするつもりもなかったのだが、自動筆記のように書き進んできてその話題に触れてしまったので書くと今夜は、以前から買い求めたかったのだがそのうち廉価版になるからと待っていた(というのもDVDとしての発売直後に買ってその後ほどなくして何分の一かの値段になったパッケージをみて悔しがったことが一度や二度ではないから)、「ブリジット・ジョーンズの日記」の正編・続編の2本を、ついこのあいだまでは1枚分にも足りなかった金額(2本で1960円)で、購入した。
そう、レニー・ゼルウィガー――最近は「レネー」の正しい表記に改まりつつある――が、好きなの。そして「シカゴ」をはじめとする、押しも押されぬスターとなってからのやブレイク以前のはたいがい見ているのにこの出世作は、つまらぬ貧乏根性で先送りにしてきたの。そして街で酒を飲んできて、その勢いで見たからという事情もあるけれど、このコメディ・タッチの作品(正編のほう)の途中3シーンほどで、私は今夜、恥ずかしげもなく涙したの。(と、オカマ口調はこの段落でおしまい。)
最近、とみに涙腺が弱くなった。「ニュー・シネマ・パラダイス」のメロディだけで銀座で涙したのはつい先日書いたとおりだが、そうしてそのたびに、こんな虚構によった生ぬるいものとは違う、慟哭とともに溢れる涙がいま流されている現実のことがふと脳裏をよぎって、それで我に返るのである。そして我に返ると、太っちょブリジットの胸も実は「シカゴ」でバレてしまっているように本当は、リンゼイ・ワグナー(何と古い!)にも匹敵する貧乳であることなども、思い起こされるのである。
のんき、というより、このかん当ブログでもちゃんととりあげてこなかった悲惨な事件に言及しておきながらこの取り上げ方だから、あの感性が鈍磨した視聴/講読者以上に残酷だ。そして今夜はまたその残酷さにメタ的に言及している。
否、クリスマスなんぞもまた、救世主とされるのは人びとの身代わりとなって十字架の上に死すことの謂れであるひとの誕生すなわち死への出立〔しゅったつ〕を祝う日なのであるから、救いようがなく残酷で、そしてそれゆえにこそ実に人間的だ。
2005.12.27.Tue 04:08 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)
ヤギ・カルロスなる日系ペルー人が広島女児殺害事件について自供を始めた。
が、何と「悪魔が入ってきた」のだそうだ。そして今は「出ていった」とも。
ふざけるんじゃない。
悪魔をそのように外部から到来する者すなわち他者として捉える姿勢は、単純に前近代であるにすぎない。
そう、せめて内なる悪魔が、というくらいに言ってくれないと話にもならない。そして私はそれに負けたのだ、と。
   *
ついでにいえば、あの姉歯。
ヒューザーやイーホームズの社長も褒められたものではもちろんないが、仕事が減るからといってとんでもないレベルの偽装を実行した張本人が、桁違いに悪いのは当然である。
加えて、体調が悪いから、とかの理由で聴聞を拒否しているらしいことが、少々の症状なら喘息をおしてでも仕事をこなしている身からすると、許しがたい。
世が世なら市中引き回し。問題のマンションの住民にしてみればそれでも済まないところだぜ。
それともお前も、内であれ外であれの「悪魔が…」とか、言い訳しちゃうのかな。
2005.12.01.Thu 23:43 | 思弁 | trackback(1) | comment(0)
大地震が襲ったパキスタンの地から、瓦礫のなかからの救出劇が報じられている。
ということは、いま、この瞬間も、そこで小さな命が失われつつあるということではある。
うーん、それを真剣に考えると胸がしめつけられるが、その伝でいえば昨日、飼い犬を追いかけて踏切から線路内に入って電車にはねられた少女の話にも、私は涙しそうになった。(その犬はどうなったの?)
否、報道されないだけで、父母の願いも空しく病気で逝った子もあったろう。
と、考え出すと私の思考はどんどん無限背進の道をつき進んでしまうので、そうした運命的な出来事が起こるこの同じ世界のちがう場所での、どうにも愚劣としかいいようのない出来事に、いったい誰に響くのか疑わしい駄弁を書き連ねる――。
   *
村上世彰のようなヤツは好かんが、負けても客が集まるタイガースにあぐらをかいていた(そして今は星野をSDに祭って点数を稼いでいる)阪神電鉄経営陣には鉄槌が必要だ。ただ情緒的なファンの声なるもの(これもマスコミが煽っている)に負けるな。
野田聖子が今日の郵政民営化法案採決時に亀井静香か平沼赳夫に刺されることを私は念じていたが、それはもちろん叶わぬ夢であるとして、しかし岐阜1区で堂々と野田を応援した夫の参院議員・鶴保庸介への痛罵を、ひとは忘れていないか!? とっとと夫婦で新党を立ち上げろ!
富山県立近代美術館の名誉館長・小川正隆が80歳で逝ったことが公表された。と死亡欄で読めばずいぶん立派な業績が、と世間は思うだろうが、現代の焚書と称すべき例の大浦作品掲載カタログ焼却処分事件の張本人はこいつで、その件に触れぬ新聞もまたクズである。
   *
と、3日分の駄弁を書き綴ったので、また木曜日の最繁忙日に向けて、2日ほどお休みかな。
2005.10.11.Tue 22:57 | 思弁 | trackback(2) | comment(1)
負けるなら、うまく負けないと、つぎに立ち直るにも時間がかかる。
堀内さん。ジャイアンツの監督として、1シーズン最多となる敗戦を喫して、これでは昔みたいに日テレの中継でエラそうな解説ができそうにない。(日テレの巨人戦中継も昔ほどあるまいが。)
おまけに、例の高校生ドラフトのミス。大阪桐蔭・辻内への交渉権をゲットしたと早合点したオリックス・中村GMも間抜けだけど――しかもこいつが次期監督!――、オレのにも「交渉権確定」と書いてるんだけどなぁと相手の喜ぶのをただ見ていた堀内は、それだけで監督を務める力量の不足を明かして余りある。
   *
一ヶ月ほど前、このブログを開設したころは「時のひと」の一人だった小林興起氏は、いまごろどうしているだろう。
さる方のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/13196544.html)で正しく分析されているように、「反対票を投じるとき、議場の歓声と拍手に応えて英雄気取りで青票を振りかざした姿」が決定的に、それこそあの堀内の間抜け以上に決定的に、政治家=政党人としての資質の欠如を明示した。
このひともおそらく、しばらく国会どころかTVタックルみたいな政治ショー番組にも帰ってこれそうにない。
   *
かくいう私。
根がけっこうマゾ的なせいか、政策文書的なものではあえて否決されそうなことを書いて、じっさい否決される。
わがプランを否決するほかない組織としての力量をそうして白日の下にさらしているのだ、と密かに悦に入ることがあるが、さて、実のところは小林や、あとから許してと猫なで声を出してしまう野田聖子のように、気づかぬうちになってるということはないだろうか。
   *
いいか、そのときは組織を抜けて、ひとり書く道を選べば…。(と最近、疲れからか投げやりになっている。)
2005.10.09.Sun 01:32 | 思弁 | trackback(0) | comment(1)
昨日に続いて、「成功」を喜ぶ人が多数いる状況に水を差してしまうようだが――。
中部圏からの入場者が全入場者に占める割合が約6割には、驚いた。が、聞けばそのなかのさらに7割強が愛知県民(県人って書いちゃおうかな)だっていうじゃない。
愛知万博ではなく県博だね。
じっさい、堺屋太一氏も産経新聞で「地元博」としての成功を強調していた。氏は自身が成功させた大阪万博のようには世界的行事になりえなかったといいたいの。
この診断は承認するが、「博覧会が見直されている」という見立てはどうだろう。
「ミスター万博」の呼称もあって、次回2010年の上海万博誘致の「高級顧問」も務めるというから、それはしっかり旗振りしていただきたいけれど。
いずれにしても、そんなローカル・ネタだったから、あのモリゾー&キッコロとかいう低レベルのキャラクターも、ウチの子もその友だちも誰もご存知ない。
   *
あっ、書きながら新聞を見てると、全期間入場券での平均入場回数が10.08回だって!
考えてみればそうだ。延べ入場者2200万人の4割強=900万人といえば、赤子も寝たきり老人も足した全愛知県民の数よりも多い。
とくれば逆に、日曜日になったらクルマで買出しに行くノリのリピーターを白い目で見ていた、そういうのに染まりたくない愛知県民もいただろうな、とも。
2005.09.26.Mon 21:28 | 思弁 | trackback(1) | comment(-)
昨日(9月25日)営まれたJR福知山線脱線事故の合同慰霊祭。
「慰霊と安全のつどい」と銘打たれているのが引っかかった。
安全が誓われるとはいえ、タイトルにもってくるのはどんなものか。
それにそもそも、安全は誓って達成されるものなのか。
ほんとうに誓うというなら、次回事故の犠牲者遺族――不謹慎だが私がその当事者となる可能性も含めて書くのから許してほしい――には今次遺族にたいするものの10倍の補償金を支払う、とでも表明してみること。
これこそ一見、不謹慎だが、要は論理的な観点から書いている。
そう表明できないのは、事故はなくならないからである。
いまはまだ起こっていなくても、「なくなる」の述語は未来をも包含する。
ありえない。
2005.09.26.Mon 06:05 | 思弁 | trackback(0) | comment(0)






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