4th room

'05/08/29開設。本名による文系ブログと使い分けて、こっちは時事・政治問題を中心に。
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昨日の「女房より重い…」も、副題に読まれる新作PHSの弱点へと要らぬ連想を引き起こしかねないタイトルだったが、今日のもまた、さまざまな仕様や機能が成熟しきっていないとの評判でもちきりの(?)同機に飛びついてしまった者の、あたかも反省の弁のようではないか。
いやいや私は、PHSを瀕死の状態から蘇生させたウィルコムとの心中も辞さない覚悟なので(本気?)、かかる反省も皮肉もないと明言したうえで、ここは、本来は「文系」の本名ブログで取り上げるべき主題なのかもしれぬクラシック関係DVDソフトにまつわって――。

バーンスタインのマーラー交響曲DVD
こいつはドイツ・グラモフォンからリリースされたことがあるものの、数年前にいくつかのナンバーが品切れとなって、さらには著作権者ユニテルとの契約の関係で二度と再発売されないといった噂さえ立ってオークションでは破格の値段がついたこともある代物の、その再発売盤である。
もちろん私は「二度と再発売されない」事態などありえない、と踏んでいたさ。
いつか分売もアリの全集で再発売されるものだと予想して、すでに持っている第2、第6、第7の3曲分3枚以外の入手も急がなかったのだが、このたびの再発売に臨んでは、CDサイズのプラケースが最近の映画ソフトの例にならってトールパッケージになったとか、2曲で1枚に統合されたものがある(第1番と第2番、第4番と第5番、第9番と第10番)とか、の軽微な仕様変更以外の部分での、歌つきの5曲(第2、第3、第4、第8、そして「大地」*)に字幕が付いた劇的な改訂に、旧盤を買い揃えたがゆえに新盤には目もくれないかもしれない者たちの注意を喚起しておきたいと思う。(* 交響曲というより管弦楽の伴奏付き連作歌曲と呼びたい「大地」の旧盤に字幕がなかったかどうかは私は確認していない。)
じっさい、根が陽気な第4番のような場合はまだしも、クロプシュトックの詩を換骨奪胎した第2番《復活》のような曲を日本人が、ただ絶対音楽のように聴くなんていうことが、ありえただろうか。
いや、事はベートーベンのあの第九――字幕を追いながら最後まで聴くとその楽天性が笑えるほどだ――の、サイトウ・キネン・オーケストラを振った小澤のであれ、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団を振った佐渡裕のであれ、のDVDに字幕が付いていないくらいだから、この国のクラシック・ソフト製作者たちにはマンション強度偽装に類比させたい横着さが蔓延し、消費者もなかばそれに慣れていたきらいがあるのだが、それならそのまま字幕なしで売り続ければいいものを、あるとき突然、「日本語字幕ON/OFF付き」の特記まで付して新盤をリリースするものだから、だったら以前の不良品は今回の良品と取り替えてくれ、といいたい気分に襲われるのである。
――と、後期資本主義社会がそんなふうにしてわずかの差別化によって買替え需要を喚起してきたのである初歩的事実を知らぬかのように書いておいて、もう一つの私の特徴的言動について明かしておくなら、すでに第6番と第7番(ともに歌なし)はもっているから両曲を収録した第3巻(2枚モノ)は買わなくてもいいや、といった合理的判断を下すのでもなく、きっちり罠にはまったようにして新しいヴァージョンを買い直して、しかも同時に、いわゆるリッピング技術も駆使してバックアップ・ディスクを作成し、それのみを再生する措置を講じる(つまり原盤は保存用とする)ありさまである。もっといえば、これはたんなるリッピングではなく、上述の2曲ずつコンパイルされたディスクについてはバックアップに際して1曲ごとに分割して、つまりは11枚モノ全集へと装いを新たにするのである。
売り方にたいする復讐と書かないだけマシだと思ってもらいたい。
認めうるとすれば、W-ZERO3のケースにも通じる「待った者が勝ち」的な知恵への抵抗、換言すれば「人柱になる意思」なのだが、そんなことより、ポケットから30000円を超える代金を払って全4巻8枚の新品を買い直したうえでの、あくまで個人使用(ホームユース)に係るカジュアル・リップくらいは、法もこれを黙認してしかるべきと考えるものなのである。
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2006.01.03.Tue 00:05 | 私事 | trackback(0) | comment(0)
副題に掲げた件は直前の記事でもう済んでいるが、3回連載の通しの題としては残しておくものである。
そう、W-ZERO3もついその多機能に惹かれて重さも気にせず買ってしまったのだけれど、軽量薄型が幅を利かせるこのご時世に配達業者の腰を痛めさせかねないヘビー級ブラウン管テレビを買うことになった、わが涙ぐましき決心は、誰より自分自身の電化製品購入史のための備忘として書き残しておく意味がある。

テレビ
知ってるひとは知ってるとおり、なんぼ液晶やプラズマの画質や反応速度が向上したとはいえ、この21世紀冒頭の段階では、テレビの画面の見た目のキレイさではブラウン管がまだわずかに勝っている。
だが、周囲のテレビがどんどん大型化していくのを見るにつけ、そろそろわが家もと思い立ったときに、画面の拡大に応じてその3乗に重さを増すことになるブラウン管式のを購入するつもりは、さらさらなかった。
心変わりの理由は、わが居間の構造に存する。つまり、作りつけの家具の「中」にテレビを置くように出来ていて、高さ(57cm)×幅(100cm)×奥行(60cm)の制限があるのである。
この制限内に収まる最大画面のテレビは32型とは、早くからカタログを見て踏んでいた。
問題はしかし、液晶にせよプラズマにせよの薄型には、どのメーカーのもとても見栄えがするとは思えない台座があって、それを含めると上記の高さの制限を超えてしまう(制限内に収めるとなると一つ下の28型でもたいがいのは厳しくなるし設置の光景がそもそも不恰好である)ということなのだった。
電器店の店員に訊いて絶望的になった。なかには台座の代わりの補助器具でなんとか立つタイプがあるのではないかという、私が当初抱いていた希望は甘くて、台座無しで自立できないのはまさに薄型のゆえんだ、という言い分だった。
この際、台座なしでデンと鎮座ましますブラウン管のほうが、画質も優れていることだし、いいのではないか――そう思うまで、時間を要しなかった。
32型で、地上波デジタルにも対応し、しかも黒色の微妙な再現性で優れ、それでいて値段的にも手頃な――それでもイオンなどで扱っている台湾製の安い液晶よりはるかに高価だ――、そんな機種が東芝から出ていた(32DX100)。おまけにこれだと現在使用中の、同社製のハードディスク・レコーダー(RD-X3)との連動も可能である。決めた。
ただし、そうすると女房より重い、約57kgにもなる重さの問題が当然、課されることになる。
実際、冒頭にも記した配達のみならず、背面での結線作業やそれを終えてからの、ギリギリの高さのスペースへの設置作業の、どれもがたいへん(そう)だった。この作業が今後の修理や買替え時にも発生すると想像すると、めまいがしそうだ。
想像さえしなければ、しかし見た目は液晶ないしプラズマ、いやそれ以上だ。京都はまだ比叡山からの地上波デジタル出力がNHK京都と京都テレビのに限られているが、これが目からウロコの美しさだし、いままで有料と勘違いしていた(実際に有料のWOWOWなどもあるが)民放系のBSデジタルも見られるようになって格段にチャンネル数が増えた。
画面だけ、成熟の極みにあってもうその運命を終えようとしているブラウン管とした守旧派として、しかし確かにデジタル化の波にもしっかり乗り始めていることが意識される、わが電化製品購入史の1頁である。

[あと1つ、「バーンスタインのマーラー交響曲DVD」へと、まだこの買替え噺は続く…。]
2006.01.02.Mon 06:59 | 私事 | trackback(1) | comment(0)
表題としては2つの商品の通称を並べているが、コイツは、暮れの数日間でさまざまなアイテムにまつわって採った買替え行動を、代表(represent)している。
そう、じつにたくさんお金を使った。
それはほとんどストレス発散のためであった――そのつもり(確信犯)だったのだが、いざ新しいモノが手に入ってしまうと、新たなストレスがかならず付いてまわる。
ということで、年始にふさわしい話題とも思えないが、年の変わり目にそもそもたいした意味を見い出してもいないので――意味があるとしたらこうした買い物のための時間を生み出してくれるという点だけだ――、書くヒマがあるうちに書いておくとしよう。

PHS
告白してしまうのだが、私はPHSユーザだ。
電波の届く範囲がdocomoやauのよりいくぶん狭かったり(ときどき出張先で経験する)、高速移動新幹線車中からはすぐ切断されたり、といったマイナス点はあったとしても、一年余り前、100g程度のモバイル機で、しかも5000円程度の定額を払えばふつうのHPが見放題、という仕組がDDIポケット(当時)によって提示されたときには、すぐ飛びついたものだ。
そのとき売り出された、Operaというブラウザ搭載のPHSが京セラが出した、通称「京ぽん」だった。
他方、DDIポケットがその後、京セラが主要出資者となったウィルコムへと発展吸収され、そのなかで、電話/メール送受信/ネット利用(PHSだけでなく無線ワイヤレスによっても)が可能なPDA、のコンセプトで満を持した発売された第二世代が、シャープ製「W-ZERO3」(正式型番WS003SH)だ。
そうしてそのコンセプトは見事にユーザの心を捉え、12月中旬の発売日以降、ウィルコムのオンラインショッピングのサイトでも抽選販売が続き、店頭販売でも大手ショップでも数日~数週間待ち、といった人気沸騰ぶりである。
いつも利用する上新電機京都1ばん館が、契約書にきちんと書き込んで待つのでも1月末の引渡しというその「W-ZERO3」を、しかし私は12月21日にソフマップの近鉄プラッツ店で予約して、暮れも押し迫った29日に入手することができた。
便利だ――ウィルコム/シャープが喧伝する、そのようなものであるならば。
ところが、同じ場所でも「京ぽん」1号機よりも感度が落ちる。
そのくせ、知らぬ間に勝手にネットにつながることがしょっちゅうあって――そんなことはマニュアルを見ても書いていない――、いつの間にかバッテリーが激減している。
未操作時間が一定値を超えると自動電源オフになるのはいいが、復帰時にパスワード入力を必要とする設定だと、メール着信の有無がアイコンで認知できない。
…といった、買替えによって逆に不便になったことがいくつもあって、頭が痛い。
実は重さも200gを超えて、いや、こんなものは上記のようなマイナス点がなければ何ということもない――むしろこの機能を得るにはこれくらいの重量が必要なのだと納得できる――程度なのだが、そこはそれ、倍が3倍、4倍にも感じられるというのが実際の使用感だ。
冗談抜きで、電話とメール送受信のためだけのセカンド機が必要になるかな。

[1トピックスだけでずいぶん長文になったので以下、同時期に買替えた2品目を見出しとして記すに留め、詳細はまたあらためて。]
テレビ
バーンスタインのマーラー交響曲DVD
2006.01.01.Sun 03:37 | 私事 | trackback(0) | comment(0)
一日だけの高知出張を終えて帰洛した。
あいかわらず飛行機は苦手で、しかもこのたびはクルマを駆る余裕もない旅であることは、先日グチったとおりだ。が、四国のど真ん中の、殻つきピーナッツの胴の細い部分にあたる地域を、たった3両の特急「南風」で走る興趣もまた格別――。
まず、瀬戸大橋から見る景色が、クルマを運転しているときにはけっして経験できない、真下に海を見るようなアングルによっても得られて、しかも島々の木々がいままさに紅葉の盛りを迎えようとしていた。
紅葉の美しさは香川から高知に入るあたりの、大歩危〔おおぼけ〕の渓谷でも同様で、ところが私はその色彩よりも、片側に白い切り立った岩肌を見せる吉野川の反対側に、のしかかるように高い峰が連なる、単純にその高低の落差――少なくともこれまでの私の視覚経験にはない――によって、アルプスの高峰をたずねた18世紀人にとってのそれがこのようなものではなかったと思われる「崇高」の境地に誘われた。
大げさと聞こえるだろうか。私はしかし、先頭車両で運転席の窓越しにその絶景が後退していく動勢をも味わい、ましてやパッと見は都市圏の快速電車のような「南風」の振り子式の作りがカーブでも比較的速度を落とさずカラダを揺すりながら進むので、ほとんど船酔いに近い状態となって、その意味でもずいぶん非日常的な体験を味わったのだった。
こりゃ、帰路でも同じ経験をするのはきついかな。そう思ったって、もうチケットは買ってしまっていたので、翌日(=今日)はきちんと腹ごしらえもして車両に乗り込むと――というのも空腹時こそ酔うものだからね――、すると同じ峡谷で、こんどは白い雪が舞う光景を目撃した。四国でこれだから、週末の天気予報が伝えていた寒波は本格的なものなのだろう。
   *
話題は一日遡って、仕事の件。おそらく1時間半、聴衆は私の話で飽きることはなかっただろう。
パワーポイントのスライドも、とても直前の「南風」車中でようやく完成したとは思えない程度にはよく仕上がって、こうやって乗り切ってはいけるものだ、と私はまたこの点での自信をあらたにした。
この調子で明日の東京での仕事――こちらは某省庁のお役人相手のたった15分のプレゼンテーションだ――も、たぶん乗り切れるだろう。
そう、乗り切れるだろう――ひとは痛い失敗をする、そのときまでは。
2005.12.04.Sun 19:28 | 私事 | trackback(0) | comment(0)
更新をサボっているあいだに、マンション強度偽装事件やら広島女児殺害事件やら保守派論客・西村真吾議員の逮捕やら、不謹慎だけれどブログ(思索にかたちを与える場所)のネタとしてはこれ以上にない出来事が、いくつもあった。(最初のは直近の書き込みの時点ですでに顕在化していたかもしれない。)
だが私はといえば、朝刊の見出しに驚くでも夜のニュースでキャスターの発言に憤るでもなく、ただ虚ろに、眼前に積み重なった仕事をこなすことで手一杯の状態である。
このたびの繁忙は12月5日の東京での公務までがひとつのピークで、その途中、3日に高知でこなさなければいけない難事があって、さらにそこに通常業務が加わって、と、これらの平行作業がそれぞれの準備の効率を下げている。たぶん一生のうちでもめったにない1週間だろう。
というわけで惜しまれるのは、ふだんであれば高知であれ東京であれ、プイとクルマを飛ばして行くところなのに(前者など一日の運転量としてはちょうどいい距離だ)、前の晩の睡眠が確保できないとかクルマを運転する時間も電車だと仕事の準備に充てられるだろうとかの理由で、この忙中の楽しみにさえ自身で躊躇している点なのである。
最悪の気分である。
2005.11.30.Wed 21:18 | 私事 | trackback(1) | comment(0)
私は三十を過ぎて喘息を発症し、それが慢性化した、不幸な人間である。
なので、それ単体の発作のことは、もちろんふだんから気をつけているが(激しい発作はもう何年もない)、厄介なのは風邪で、軽度のものでも気管支が荒れて、喘鳴〔ぜんめい〕に苦しむことになる。
   *
その風邪の予感を感じたのは、先の記事を書いた17日(木)の、その日の仕事の準備をしていた前夜、というよりももう明け方近くのこと。
そして朝が明けた、いつもながらの週のうちの最繁忙日は、時おり咳をする程度で乗り切って、それで翌18日が恵まれた週の金曜日のようにフリーであったのなら休息をとって一気に快方に向かったのだろうが、あいにく重大な会議のしかも議事進行役が夕刻に控えるというので一日がその準備でつぶれ、そしてまた今日19日(土)も午後、100人ほどの聴衆を前にして1時間、滔々とわが組織を代表した話をしなければならない(しかもパワーポイントの準備が要った)というので、休む間もなく、その結果、「風邪は三日目がいちばんしんどい」を地で行くような悪化のプロセスをたどったのだった。
   *
ということで、いまはこれを書くのもしんどい状態なのだが――でも横になると喘鳴がうるさいのだよ――、それにしても、プロだ、と自分を見直したのも確かである。
というのも、ほとんど喘息の軽発作のような状態が続き、歩くとすぐ息が切れて咳き込んでしまうので、会場にずいぶん早く乗り込んで、ひとり息が落ち着くのを待って、何事もないかのように事を運ぶのだからである。
そして物理的/身体的に拘束される90分や60分が過ぎると、トイレに駆け込んで、気管に溜まった痰〔たん〕を排出するために咳き込み、この寝汗をかいたような状態でここで死んでしまうんではないかという、おぞましい予感に囚われたりするのである。
   *
だが、ものは考えようだ。
私はこうした苦しい瞬間に――あるいはここまで苦しくなくても呼吸の乱れが起こらないようにゆっくり歩いている瞬間に――、いちばんこの身体の不自由を感じ、ひいては「生きている」という意識を強く抱くことになる。
とくに、呼気を吐くときに口をすぼめる(そうすると楽なのである)行動が、疲労の極みのなかでなお維持されていることに気づき、あるいはそうかと思えば、このままずっと眠ることができないのではないか、と暗澹とした気分に浸っていたはずなのに眠気が喘鳴にさえ勝って、気づいたら朝だったとき、とか。
まあ、これは、喘息を患う者にしか味わえない悦びやね。
2005.11.19.Sat 23:58 | 私事 | trackback(0) | comment(0)
まずは前回記事の補遺のように書き始めるのだが、オンナの年齢といえば今日めでたく婚姻の日を迎えられる皇室ご令嬢の件もある。
先日、宮内庁から発表されたお二方の姿が、新郎となるK氏の趣味のカメラを愛でる、われわれの周囲のオタクどものそれとさして変わらぬものだったので、かえって微笑ましかったが――と根が「右寄り」の私は最大限好意的に書くのである――、いずれにせよ、ともにそこそこ「いい年齢〔とし〕」での婚礼となるのであることは、間違いない。
世が世ならこうして「いい男性〔ひと〕」と出会うまで周囲が待ってくれる、なんていうこともなかっただろうと、この状況への祝福もあわせて。
   *
ところで、本来ならヘンな民間ホテルでではなくココでお二方の披露宴をおこなってもよかったのではないか、と思われる新迎賓館に今日、米国大統領ブッシュがやってくるというので、いま京都の町はてんやわんや(古めかしい言い回しだ)の状態である。
否、新迎賓館がある御苑への一般人の立入りが禁止となったのは昨日からだが、警備の強化は早くからひそかに始まっていて、ウチの子が剣道に通うN署の道場も全国の警察署からの応援部隊の臨時宿泊所となって、お稽古じたいがここ2週間お休みといったありさまである(剣道を辞めたい子どもは大喜びである)。あるいは、一昨日など出町柳の賀茂川の分岐点一帯には、東京は足立ナンバーの装甲車などが何台も停まっていて、ヘンに懐かしかったりした(学生時代に足立区の安アパートに住んだことがある)。
   *
本題――そういったわけで京都の、ただでさえ毎秋、観光バスに「襲来」される道路事情がこの件でさらにその混雑に拍車がかかっている状況について。
御苑の周囲数キロの範囲には、なるべくクルマで立ち入らないほうが無難といわねばなるまい。ただ混んでるだけでなく、要人移動の際には一帯に交通規制が敷かれて、しかも要人ゆえそのコースとスケジュールが事前に公表されない。
というわけで、ウィークデイに久びさに空き時間ができるというので御苑北端から徒歩15分の場所にある、わがお気に入りの美容院に行くのに今朝は私も、なんとも細君のママチャリを利用することになる(いつもはクルマ)。そしてそのあと、午後の滋賀県某所での公務のためにクルマを駆るにあたっては当然、御苑近辺をかすめて三条、蹴上、京都東ICと向かういつものコースをとらずに、北大路通から比叡山側のいわゆる「山中越え」を利用する遠回りの経路をとることになる。
   *
「なんでブッシュのために」と実際、私の周囲の人間は愚痴っている。
だが、「右寄り」であるように同時に「親米」でもある――そしてこれだけ嫌われるのには逆に美点もあるからだろうとブッシュにさえ好意を抱く――私は、愚痴のひとつもこぼさずに、わが町・京都にふりかかってきたこの秋の災禍を逆に祝福することになるのである。
2005.11.15.Tue 04:59 | 私事 | trackback(0) | comment(0)
あろうことか、こんなブログにもリンクを張ってくださっているさる方から、簡単ピザの作り方を教えていただいた。→ http://belleseiko.blog1.fc2.com/blog-entry-141.html
うん、簡単だ。といいたいところだけれど、自分じゃちょっと手が出せそうにない。こんど、ファミリーが揃う休日の午後にでも、母子で作ってもらおう(この週末は母方実家の大祖母の見舞いで二人だけで帰省する)。
   *
それにしてもピザも、大阪人が粉モノって呼ぶ類の食べ物に入りることは間違いない。
実際、古代ローマ時代からピザはあって(と昔ある英語のテキストに書いてあった)、いまもまたイタリアでは日々、家で粉まみれになって作ってる。
他方、スパゲッティは、これもその昔は皆、自家製麺だったのだけれど、19世紀に女性が社会進出(もちろん今ほどではないけれど)するようになってから、茹でるだけの乾麺ができたとか(*)。
たしかに、パスタ好きはアルデンテの硬さ(軟らかさ)にこだわるけれど近代以前の皆、自家製の打ちたて麺だったころにはアルデンテという概念がそもそも存在しない。
(*ものの本やネットでの検索で正しい知識が得られるかもしれないけれど今はうろ覚えのママで。)
   *
と、粉モノ一族からの差別化が少々厄介な麺類だけれど、その意味では蕎麦も、作るひとによっては粉モノになる。
うん、そして実際、まったくそんな余裕がない現在時点から、遠い過去の日を思い出すように書くと、わが夢の2番目のものとして、ソバ粉から自分で練って、打って、切って、そして茹でたい(まさにアルデンテ状態に(*))、というのがある。
その蕎麦の旨さは、東京に住居をおきながら山形との二重生活を送っていた三十歳台の前半期に、後者の仕事先で知った。
東京でももちろん名店の数々を食べ歩き、旅先の信州なんかでも時間をそのために割いて舌鼓を打ち、しかし、いまいる関西では、うどんに押されて、美味しい蕎麦に突き当たる確立はやはり激減したといっていい(旨い店がないのではない)。
(*蕎麦には手打ちでもアルデンテがある、といいたい気持ちに抗しきれない。)
   *
と考えると、今日のこの久びさの自由な午後の時間――こんなふうにブログの文章を打ってる!――を、蕎麦を食すために充てるのでもよかった。
ところが実際は、社会見学に行く子のお弁当の残りの慎ましいおかずで缶ビールを開け、さあ芸能ニュースはどんなのが、と思ってチャンネルを合わせると水戸黄門の角さんこと横内正夫婦の泥沼関係が報道されていて、一気にやる気を失くした(昨夜も石田純一の告白本のプロモーションでしかないバラエティ番組に引っかかって失った時間をあとから悔やんだ)。
   *
あっ、粉モノ談義のお題でシュルレアリスムばりの自動筆記を始めたら、ほんとうにオチのつけようがなくなってしまった。
低質の書き物は忸怩たるものがあるけれど、その反面で自己愛が強いので捨てるのももったいない。
ということで、夜中のラブレターみたいにあとから読み直して破棄なんてことがないように、書いたそのまんまで。
2005.10.28.Fri 15:17 | 私事 | trackback(-) | comment(-)
働きづくめだったな、この1週間。
で、少しカラダが空く木曜日夜には阪神 vs.ロッテの日本シリーズの第5戦を観て、と思っていたら、前夜あっさり4タテで敗北が決まってたりして(苦笑)。
阪神ファンだらけの町に住むのに、もう残念がる声も聞かれない。
ま、それだけロッテが強かったということだ(プレーオフ制の功罪にあとから言及するのは筋違いだ)。
   *
仕事でベラベラ人前で話したりしながら、ふと、ヨーロッパで拡大しつつある鳥インフルエンザのことを考えたりした(心配半分そして、そうして世界が滅べばいいという破滅願望が半分)。
さすがにもう生存者はあるまいと、しかしまだわが子を探している親もあるだろう希望(というのだろうか)も半分でパキスタン北部の地震の被災地にも、思念はめぐった。
そうしたとき、いま眼前の人びとに話しているその文脈を忘れそうになって、慌てふためきそうになった。
   *
ところで、衆院選挙期間に当ブログを開設したこともあって、当初はテーマとして取り上げることが多かった政治・政局はどうだ?
佐藤ゆかり萌え。
常識欠如の杉村太蔵。
おせっかいどころか真正バカ大仁田厚。
本会議欠席アノ料理研究家(すぐ名前を忘れる)。
「コイツ」はいいね(笑)片山さつき。
「コイツ」ぐらいで噛みつくな(でも戦犯問題での発言はいいゾ)民主・野田佳彦。
ホンマに大阪市長選出馬?元吉本座長だ船場太郎(ローカル・ネタ)…
   *
それに、左翼系新聞が煽るから中韓が騒ぐ小泉靖国参拝も含めて、しかし何だか今週はどうでもいい。
それよりも問題は(と井上陽水調に)、久びさのオフとなる今日の昼、何を食べながらビールを飲むかだ。
2005.10.28.Fri 05:45 | 私事 | trackback(1) | comment(1)
その2とするのは、昨夜の記事も中味は同じことを語っていたから。
で、今日の閑〔ヒマ〕は子の、予定されていた運動会が中止になったことによるもの。昨夜の天気予報ですでに空模様が怪しいことはわかっていたが、まだ雨の一滴も降っていないうちから中止の連絡網通信が回ってきたのは、明日は一日心配せず会が進行できそうな予報だからだろう(外れたら大事〔おおごと〕だ)。
いずれにしても、急遽もたらされたこの閑は、いま私に、久びさに猫3匹とたわむれる時間を与えてくれている。
日ごと肌寒さが増しつつある今日この頃、猫たちの飼い主への接近頻度も高まりつつあるが、そうやって近づいてきたところで背中などひと撫でし、ついでにアゴの下をチョコチョコとしてやると、「アレっ!?、今日は相手にしてくれるの?」てな感じで、それを認めて次はカラダ全体をもちあげて拉致してソファーに倒して、ヒゲを押し当てるようにしてヤツらの頬をスリスリなどしてやると、「おいおい、ヤメてよ苦しいよ。あっ、でもけっこう気持ちよかったりする」と、テレパシーで伝わってくる。
ああ、楽しい。
でもこんなのが続いたら、呆けてしまうだろう。
どのみち、翌日以降の繁忙の軽減のためにキーボードをパチパチ叩こうと思っていた日曜日が代替日でつぶれることになったのである。ここは適度なところで(あと2時間ほどで)猫たちとの時間も切り上げて、午後は仕事にとりかかることにしよう。
2005.10.22.Sat 09:38 | 私事 | trackback(0) | comment(0)






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