4th room

'05/08/29開設。本名による文系ブログと使い分けて、こっちは時事・政治問題を中心に。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | trackback(-) | comment(-)

久びさに廃墟のような旧ブログを訪れてみたら、
上も下も広告だらけである。

とりあえず上の広告については、
「新しい記事を書く事で広告が消せます」
とあるので、この出来ることはしておこう、と。
.
スポンサーサイト
2013.04.07.Sun 22:47 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
ある「必要」に駆られて、ここを復活させることになるかもしれません。
ま、近々。
2011.06.25.Sat 07:13 | 未分類 | trackback(0) | comment(1)
大阪府下の小さな自治体の談合疑惑にまつわって、その小ささにそぐわぬ大それた糾弾の言葉を、昨日は吐いた。が、談合企業をつぶせるはずも、関与した首長を銃殺することも、もちろん可能な話ではない。要は、やめるといっておきながら続くこうした仕儀を、またしても当事者や身内はやめるというのであろう、この性懲りもない謝罪の循環を本気で断つにはそうした見せしめが必要なのであり――ただし食品業界の隠蔽体質は雪印のような例があってもあんまり改善されていなかったね――、それが無理なのである以上、誰かがきちんと、談合はなくならない(やめるとは誰も断言できない)と、明言すべきだと思うのである。
じっさい公共事業が、あるゆる意味での談合と無縁であるなど、実現したってそれが幸福につながるとはかぎらない夢物語なのであって、こんにち、このことは国政レベルでも真実味が増しているというべきである。
すなわち、このたびの参院選の結果生じた衆参のねじれは、選挙戦で焦点となった問題にかぎらず、なにごとについても、与党と野党第一党が談合を画策しなければ推し進められないことを意味する。衆院選ではけっして政権交代が起こるような民意を表明しないだろうこの国の国民が、マスコミの煽りにも乗ってこのたびのようなねじれを招来したのは、バランス感覚でも何でもないと思うが――この集合体に擬人法的に称賛しうるバランス感覚があるなら弱小政党も若干のイニシャチヴを発揮する可能性がある僅差の自民党勝利だっただろう/そうして民主党はそのことでいっそう次の衆院選に向けたエネルギーを蓄積すればよかった――、こうなってしまった以上は、あとはもう談合しかない。
この談合を仕切る、この喫緊の意味での政治家の活躍を、待望する。
2007.08.01.Wed 08:30 | 政治 | trackback(0) | comment(2)
清掃工場建設めぐる談合容疑で、枚方市長が逮捕された。
で、記事を読むと――おいおい、またO林組か。
ならばもう、つぎに談合したゼネコンはつぶすとでも、権威ある者がいってみればいい。
ついでに、談合にかかわった自治体首長もそれは判明した瞬間に銃殺だ、とも。
2007.07.31.Tue 13:50 | 政治 | trackback(0) | comment(0)
それは平凡すぎて書くのも恥ずかしいが、こらえて書いてしまえば、いわゆるタレント候補のせいである。そして、そのことについてならば6月7日付「だから対立軸がなくなる」で早くも速報的に書いて、私はこの参院選そのものかんする私なりのネガティヴ・キャンペーンを、張り終えた。
しかしその後、より忌々しい事態が起こった。本名をここに掲出することもしないが、ヤンキー先生の名で売る30歳台男子を、自民党は比例区の候補者として立てたのである。話す内容を聞けば、夢を抱き続ければいつかはかならず実現する、風のことが(本音かどうかはさておき)思考の中心にあるこの男子を、政府/自民党は、というよりも安倍首相はすでにみずから率先して、教育再生会議のナントカ室長だかに任命しており、それだけでもじゅうぶん慨嘆するに値するものであったのに、どうにも危ない選挙の集票マシンとして担ぎ出して、そうして、開票直後は「苦戦」も伝えられて「民意」なるものもそれほどバカではないよな、と思わせてくれていたのに、最後はちゃんと通ってしまっていた。
だから、こんなものだったら参議院なんか、なくせばいい。そしてこんなことを、志ある人びとはもう何十年も前からいい続けてきたのである。
2007.07.30.Mon 10:44 | 政治 | trackback(0) | comment(0)
小泉劇場と揶揄もされた2年前(2005年)の衆院選のころ、このブログは開設された。タイトル下の説明文も「時事・政治問題を中心に」と謳っていて、それなりに時機を捉えていろいろ書き綴ってきたが、このたびの参院選のことは、まったく触れずにきた。この無精には、それに係る諸報道にタイムラグなしに随伴することができない、現在の私が置かれている環境も一部関係しているのだけれど、それをいちいち詳らかにするほどのこともない(書くと素性が湧出する)ので、たんに参議院(議員選挙)なるものへの関心が薄いのだ、と書いておきたい。
だが、本心であれ何であれ、それくらい冷めている私の耳に(正確には「目に」)、筑紫哲也が投票日前夜、ニュース23に声だけで出演して、投票行動を呼びかけたのであるらしいニュースが、飛び込んできたのである。いや、開票特別番組でもその声だけの出演は繰り返されたらしいのだが、とくに前夜の投票呼びかけは、このひとのことだからたんに「棄権しないでおきましょう」ではなく反自民の意思表示が含意されているのはミエミエだから、いつもながら――否、いつも以上に――悪質だと思われた。ジャーナリストが病気療養するといったのならその態度を貫くべきだろうに、病床だかどこだかは知らぬがそういうポジションさえ利してなお世論操作をしようとしているのだからである。
と、いやぁな気がして、さりとて新しい記事を書く意欲も湧かず、そうして比較的読者が多そうなあるサイトの筑紫関連記事に、この4th roomの過去の筑紫批判記事(5月15日付「告白しなきゃいいのに――筑紫哲也のこと」)のトラックバックを送ったところ、それ以降、訪問者の数が思いのほか増えた。そればかりか筑紫ファンと思しきひとから、短いコメントを得ることにもなった。
このFC2のブログを利用しているくせに仕様をよく理解していないので、そのコメントが投稿者自身によって削除される可能性も含め考え、ここに再録しておくならば、それは以下のように書かれている。――「最悪なコメントだと思いました。/読んで損をした。」(「/」は改行)
仮にこの弱々しいコメントの書き手が自身のブログをもっていたとしても、私はいちいち反論するつもりもない。が、そうしたURLどころかハンドルネームの表示もない。野良犬の立ち小便のようなコメントで、そういうのは基本的に削除する主義なのだが、具体的に何を指すのかもいわずに「最悪」という最上級の表現を選ぶセンチな構えも含めて、私のような書き方へのありがちな感情表出の典型例として「晒しておく」に値する、と考え、私自身の手では削除しない(どころか本人の削除に先立ってここに再録さえする)ことにした。
いや、そのうえで、この新しい記事で逆コメントさえ発しておく。筑紫にはファンもいれば、その逆の者もいる。この「逆」の側から口汚い批判・非難がさまざまに発せられているのは、ちょっとネットの世界に深く潜入していけばすぐわかるのであって、それと較べれば私の筑紫批判など、理を尽くしすぎておとなしいとさえ思われようはずなので、「最悪」という言葉を使う前に少しはそうした毒にも触れてみてはどうかと記しておくが、仮にそうしたものも知ったうえでなお私のおとなしい批判に「最悪」の筑紫批判の特質を読み取ってくださったのなら、私は「最悪」を「最高」と読み換えて、感謝とともに受け取っておくべきかもしれない。
ちなみにこのコメントの主は(ハンドルネームも何も記されていないのは同じなので断言はできないがおそらく同一人物であろう)、6月3日付「藤原紀香(夫婦)が苦痛である」にも、「ひねくれたひがんだコメントですね。/面白くないのでもう読むのやめます」と、とりあえず筑紫批判を「読んで損した」と書いておきながら、最低もう一つの記事は読んでしまったのである(笑)。読んで損した/もう読まない、と弱々しく書きながら、たぶんあと二つくらい読んでいるだろうし、この記事も読むだろう。
だから書いておく。――コメントするのだったら、仮に名乗るのが恥ずかしくても、もう少し強い言葉を吐きなさい、と。
2007.07.30.Mon 08:58 | メディア | trackback(0) | comment(0)
これを書き始めた時点で、asahi.com全体のトップに、「いじめ映像がネット流出 さいたま」の見出しが踊っている。記事全文を見ようとしてクリックすると、そこでの見出しは「いじめ映像がネット流出 学校、指導の最中に さいたま」と、情報を盛り込もうとした字数のぶん、逆によくわからないものとなっている。
本文を読むと、いじめの存在を「学校」(さいたま市内の私立高校らしい)が把握し、指導していたのに、その間(もちろん数日の幅がある)に加害者のひとりが撮った「現場」の映像が、そいつ本人によってネット上に投稿されたらしい。
この場合、「把握」し、「指導」していた事実は、無意味ではないが、見出しとしては「学校、指導の最中に」は削除せよ、と、上司が新米を指導するべきだろう。問題はそれよりも後段にある。最終段落を引用しておく。
「学校側は「絶対にあってはならない悪質ないじめで、被害生徒の心のケアに努めると同時に、加わった生徒には厳然たる措置をせざるを得ない」と話している。8日にも全校集会を開き、ネットに軽い気持ちで投稿することの危険性を呼びかけるという。」
この最初の文のほうはいいとしよう。第2文である、問題があるのは。――全校集会で呼びかけられるのが、なぜ「ネットに軽い気持ちで投稿することの危険性」なのだ!?
だがこの点についていえば、学校関係者にはこの種のバカがたくさん生息するのは、たしかなのである。事件や事故で亡くなった児童・生徒を悼む全校集会で「命の大切さ」を訴えるバカ校長がいつもテレビに映るだろう、アレなんか最たる見本だ。私が被害者の親であるなら、死んだわが子に係る不幸や理不尽や、ときには憎悪を抜きにして、みんな命を大事にしましょうね、なんて言ってるのを聞いたら、その校長にすべての憎悪を差し向けてやる。
このさいたま市内の私立高校(なぜ名前を出さないのだ!?)の場合、まもなく開かれるのであろう全校集会で語られるべきは、こんな鬼畜のようなヤツを飼っていた/同じ畜舎で飼われていたことにかんする、徹底的な羞恥の言葉であるだろう。
いや、先にも書いたとおり、この種のバカは学校なる場所には、悲しいけどいるのである。だが、取材をして、仮にバカがそう述べたとしても記者は、かならずしもバカの真実を伝えるのではなく、あるときは(この場合などは)ニュアンスを、捻じ曲げないとしてもボカすとか何とか、するべきだろう。(最悪なのは、ちがうニュアンスで語っているのに記事の文面がそうなってしまうケースだ。)
いずれにしても、取材するほうも、検閲するほうも、そして(ネットのただ読みはさておき)購読している者も、皆バカだから、こういう文字が躍ることのおぞましさに、気づかないのである。
2007.06.08.Fri 07:58 | メディア | trackback(0) | comment(0)
テレ朝の女子アナをかつぐ自民も、有田をかつぐ新党日本も、だから民主党は嗤えなくなるんだよ――横峯さくらの父親をかついだ瞬間に。
2007.06.07.Thu 11:24 | 政治 | trackback(0) | comment(0)
関テレ/フジテレビ系の(とキー局を並べるのはこんなの単独局のみの責任であるはずないからだ)の「あるある大事典II」の例の捏造事件は、悪いのは悪いに決まっているが、信じるほうがバカという次元での情報捏造も含まれていて、私はひそかに、そこまで騒ぐか?、と思うところがあった。あるいは、アレがだめなら、こっちはいいのか(その正しさを検証する仕組をそもそも持っているのか)、という疑問が他の番組にまつわっても頭から離れなくて、だからまたいつもの、そうやってひとを谷底に落とそうとするヤツこそいつかは自分が落ちるから、と思っていたのである。
そうしたら、昼のTBS系情報番組「ピンポン」が、高校生ゴルファー石川遼選手の取材のために同伴競技者にマイクをつけてプレーするように依頼していた件が、明るみに出た。
これ、まずは「あるある」の件があって放送倫理が再考されている時期であることにかんがみると、ただそれだけで相対的に「あるある」よりもヒドいといいうる側面がある。
だが、それだけではなく単純に、上述のごとく古典的ですらある情報捏造以上に、競技者のプレー中の音声を他の同伴競技者に録音させようとしていた事実が、ただもう絶対的に破廉恥なのである。
「あるある」と同様、即刻打ち切りが、この番組にたいしてふさわしい処置でしょ――ね、「ピンポン」に出演している言論人諸氏よ。
2007.06.06.Wed 12:44 | メディア | trackback(0) | comment(0)
タイトルにすべてが籠められている。だが、文もて敷衍しよう――文に敬意を表して。
まるで日雇い労働者がその肉体を切り売りするように、その日書いた文章で生計を立てる。それは売春という職業がやはりあるときそこに達するような、究極の気高さをもっている。
私などは、文章を公にしたところでそれだけで生計が立てられるわけではなく、何人の読者があるのかわからないものの数を業績と呼んで尊ぶ世界の一隅で、たぶん気づかぬうちに売文家を貶めているのだろう。
だが、何の後ろ盾もなく文で生きていくというのは、ただそれだけである程度、立派なのである。そしてそれにとどまる以上の意味で、私の嫌いな有田芳生もある時期、たしかに気高かった。
ところが、たぶんオウム禍のころから想像力の欠如したワイドショーのディレクターなんかに重宝され始めて、パロールもて茶の間に迎合する思弁を撒き散らしはじめた。
そしてついに昨日、田中康夫が代表を務める新党日本から今夏の参院選に出馬することを表明するに至った。
かりに田中にどんなことを吹き込まれたのであったとしても、国会で、あるいはその舞台裏で、あなたが今後、書く/話すのであろういかなる言葉よりも、映像の手を借りずにただ文だけで生きていた時代の言葉のほうがはるかに、世界にとっては有意味だったのだ。
こうなったらしかし、いっそのこと当選し、代表質問などしてもらって、自分の言葉が、かつて自分が批判した対象のそれと変わらぬ空虚さを響かせていることを、実地に体験してもらうほかないかな。
2007.06.05.Tue 09:52 | 政治 | trackback(0) | comment(0)






<< 2017.09 >>
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最近の投稿
カテゴリ
以前の記事
最近のコメント
  • 談合の時代
    unimaro(11/23)
  • 告白しなきゃカッコいいのに――筑紫哲也のこと
    (08/15)
  • 告白しなきゃカッコいいのに――筑紫哲也のこと
    (07/30)
  • 告白しなきゃカッコいいのに――筑紫哲也のこと
    (07/30)
  • 告白しなきゃカッコいいのに――筑紫哲也のこと
    (07/30)
  • 告白しなきゃカッコいいのに――筑紫哲也のこと
    (07/30)
  • 藤原紀香(夫婦)が苦痛である
    (07/30)
最近のトラックバック
リンク
プロフィール

anonym
FC2ブログへようこそ!
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。